春(Haru)の伝えたいこと

出会ってきた考え、思想を伝えていきます。

自分という存在をアウトプットする勇気

アウトプットする勇気。
 
 
アウトプットすることは、人の目に触れるということ。
人の目に触れるということは、それは批判を受けるということ。
 
何か作り出す人間の世界を、
すべての人間が受け入れてなんかくれるはずがない。
 
そう、理解しておかないとこの時代では病んでしまうと思う。
人の価値観を簡単に発言できる時代に、
自分のやっていることを他人からの正解を求めていては辛いだけだ。
 
それよりも、自分の信念に従ってとにかくいいものを作り出すこと。
人の意見を元にして、素直により良いものに変えるために努力すること。
 
その小さいけど、大事な行動を積み重ねていける人間がこれから強くなるんだろうね。
 
あとは、自分の軸を明確な言葉で語れるようになること。
これが一番難しいけれど、大事なことだと思う。
 
多くの人たちは、自分のやっていることにそんなに自信を持てない。
というか、集団からの評価に対して怯えている。
集団の圧力が強いと考えられている日本は、なおのことそうなのかもしれない。
 
だから、多くの人が正解だと思いかっこいいと思われる行動をしようとする。
不安を解消して、安心を得たい人間からしたらそれは至極当然の行動原理だと思う。
 
けど、それで失うものは本来それぞれの人たちが持っている個性だ。
ユニークで、キラキラ光る、その人でしかできない何かをしないで人が求めることに走る。
そうしたら、きっと本来の自分を潰してしまうことになる。
 
一部の人間はその世界で輝けるだろう。
その生き方に才能や運があった人間は。けど、大多数の人は本当の幸せを得られない。
それってすごく悲しくないだろうか。
 
自分もそうだ。
本当にやりたいこと、心が動かされて幸せに生きられない人生でいいのか。
そう生きなくて、自分の人生に対して責任が持てているって言えるのか。
 
ネット上ではたくさんの人がいる。
議論されて、それぞれの人の好みはあるとはいえ、目立っている人たちは自分の人生を生きている。
その原動力がなんであれ、きっと動き回っている人は自分の人生に対して責任を持てている。
 
それを批判するのは簡単だ。
というか、批判する方が多数だから、自分が正しいと思えてしまう。
ある種、快感を感じてしまうのかもしれない。
 
けど、それをしていては自分の人生は傍観者から何も始まらない。
というか、人の足を引っ張っている。
自分が行動することに対しても、ブレーキをかけてしまっている。
 
私たちが大切にすることは、人を判断しないこと。
あるがままを受け入れて、自分を少しずつアウトプットする勇気をもつこと。
 
アドラーの心理学にもあるように、
とにかく嫌われる勇気を作っていくこと。
 
 
その第一歩が、
 
「人を判断しない。批判しない」こと。
 
そして、
 
「自分の心をアウトプットする」こと。
 
 
自分の声に形を与えていこう。
長い時間がかかるかもしれない。今まで散々自分をないがしろにして来たんだから。
けど、その時間は自分が自分で苦しめてきたものから解放されるための大事な一歩。
 
 
 
その一歩を踏み出す人を、自分も含めて増やしていけたらいいな。